明治39年12月から全国的に実施されてきた年賀郵便の特別取扱も、1940年(昭和15年)には 当面の間中止ということになり、昭和10年代当初8億枚にまで増えていた年賀状は昭和16年には 一気に2700万通まで減ることとなる。
逓信省自体が「お互いに年賀状はよしませう」というポスターを局内に掲げるに至り 明治の始めから続いてきた日本の年賀状という習慣は一端ここで終わることとなる。 今に残されている数少ない戦時下の年賀状には時代を感じさせるものと、年賀芸術の 継続を願ってのものが見られる。
交換会の大半は昭和15年頃で終了しているが、一部戦争中も続いた会があった。 倉本や小林のはがきは昭和18年の交換会のものであるが、芸術家集団の交換会である 「榛の会」(はんのかい)昭和19年のアルバム一冊が手許にあるので、併せてその一部を 紹介しましょう。
戦争が始まって間もない昭和17年の年賀状「馬も兵器だ」とあります(神戸・大丸)
昭和18年戦争が始まって2回目のお正月(貞信画)
昭和18年神戸・小林政雄の年賀状 (貞信画)
昭和20年国家幸福&国禍降伏