明治40年代は日本の絵はがきや年賀状が一番美しかった時代である。
製紙、印刷、加工の技術が共に進歩し、美しい年賀はがきが全国に出回ることになる。
古い統計によると、明治38年の年賀状が約1.1億枚であったのに対して、明治40年は4億枚 (明治39年度の郵便物の総数は13億通)に増えていることからも、当時の熱狂ぶりが うかがえる。
この時期、官製はがきによる年賀状は1割程度にまで減少する中、私製の年賀状は 隆盛を極め、明治42年末、年賀はがき商戦では1400~1500種類の絵はがきが 絵はがき屋で販売されていたという。(参考二六新報 明治42年12月22日、25日)