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暑中はがきビジネスの始まり

暑中はがきビジネスの始まり

大正14年に発行された 「絵画絵葉書仕入大観」 によると、暑中見舞用絵葉書について次のように記されている。

大正2年、東京図案印刷株式会社(当時 浪華屋)にて初めて出版発表されたのが始めであった。
最初はかなり危険視されたものであるが現今においては新年用絵葉書とともに業界の年中行事となり、必需品となったことは、一般組合員の努力の結果と時代の要求に適応したために外ならぬ。
図案は主として涼味あるサッパリしたものが歓迎され見舞用文字等もかなり細かくスラリと書いたものの方が良く売られるようである。 これはますます発展の余地ある品として現今にては多数に毎年出版せられ、且つ好評をもって売れておる夏季第一の商品である。

時代背景を考えてみると明治天皇が崩御されたことで大正2年の年賀状が激減し、絵葉書業者の間で年賀葉書に続く商品の開発が求められていた。 そんな折、東京図案印刷の黒田久吉が次の一手として企画開発したのが暑中見舞葉書であった。
また、当時の国民的視点からしても、年賀の挨拶ができなかったので夏の挨拶をしたいという潜在的な欲求があったのかも知れない。

大正8年には、東京図案印刷のほか多くの出版社から「暑中お伺い」 用の私製葉書が出版されている。

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